大学時代、私は体育会ラクロス部で主将を務めていました。
きっかけはとても軽いもので、新入生ガイダンスで隣に座った友人となんとなく見学に行ったこと。ユニフォームが可愛くて、新しいスポーツで、バスケ経験も活かせそうだと思ったからです。

ラクロスとは

ラクロスはロサンゼルスオリンピックの正式種目に決まりましたが、アマチュアスポーツです。17世紀、北米の先住民族が祭事や鍛錬のために行っていた同スポーツの原型をフランス系の移民が発見。 先住民との交流を目的に、ルールを定めスポーツ化したものが始まり。 使用していた道具が、僧侶が持つ杖(Crosse)に似ていたことから「La-Crosse」と呼ばれるようになったそうです。現在は、95の国と地域が国際競技連盟であ るワールドラクロス(WORLD LACROSSE)に加盟し、世界的競技人口は約110万人とも言われています(ラクロスの現状と概略、公益社団法人日本ラクロス協会2026年)

しかし実際は想像以上にハードでした。一緒に見学に行った友人はすぐに退部、私は4年間続けることになります。当時、岡山から大阪に出てきた私は、関西のぐいぐいハッキリものを言うフレンドリーなコミュニケーションにも戸惑い、個性の強いチームの中でどう関わればいいのか悩みました。高校までの部活は監督コーチがいたのですが、大学ではすべてを自分たちで決めます。練習メニュー、戦術、合宿や練習試合、ミーティングの調整、試合メンバー選考などなど、「なぜこれをするのか=強くなるため」に、あらゆることをやりました。

1年に1回、東京と関西のラクロス部で2泊3日の東西交流戦を開催します。私たちは上京し、対戦する大学のメンバーの家に泊まらせてもらいます。私はいつも根掘り葉掘り練習メニューや勝つためのポイントをヒアリングし、いいな!と思う練習メニューは夜通しノートに書き写しました。「これを持ち帰ればチームは強くなる」と信じていたからです。勝てば、みんながハッピーになると思っていましたが、うまくいきませんでした。

ミーティングは沈黙。発言するのはいつもと同じ一部のメンバーだけ。私は主将として「勝つためにはこうあるべき」と考え、正しいことを伝えているつもりでした。
「なんでできないん?」「もっと頑張ろうや」「もっとできるやん」今振り返ると、かなり威圧的だったと思います。副キャプテンがコミュニケーション能力が高く、上下関係なく誰とでも楽しく対話できる人だったので、私の言葉をやわらかく言い換えてくれたり、「ほんまはキャプテンはこう思ってるんやで」と後で話をしてくれていたこともありました。

当時の私は、人をまとめる方法も、人の気持ちに寄り添う方法も知りませんでした。ただ、自分の当たり前と感覚でチームを引っ張ろうとしていたのです。正直に言うと、今ならもっと上手くできたと思います。マインドセットやコーチング、対話のスキル。今持っているものがあれば、あんなに苦しい思いをしなくてよかったかもしれません。

一部リーグの入れ替え戦になったときのことです。この試合に負けたら二部に降格する。チーム全員が「絶対に勝ちたい」という思いで一つになりました。

そのとき、少しずつ変化が起きました。

普段あまり発言しなかったメンバーが、「自分はこうしたい」「なぜそう考えているのか」を話し始めたのです。私たちはそれを否定せず、尊重するようにしました。強制するのではなく、できたことを認めるようにしました。すると、それまで控えめだったメンバーが試合で活躍し、ゴールを決めるようになったのです。今でもその時の映像が浮かびます。

チームの雰囲気が、明らかに変わりました。

そして迎えた入れ替え戦。私たちは勝ち、一部リーグに残ることができました。主将としての最後の試合、みんなで号泣しました。この経験から学んだのは、チームは正しさでは動かないこと。そして、人は話を聞いてもらえたときに力を発揮することでした。

松下幸之助氏の「できない理由より、どうしたらできるか」を常に考えると言う言葉はあまりにも有名ですが、ラクロス部主将時代にチームがうまくいかなかった理由は、スキルや努力ではなく、「目指す状態」「現状」「課題」を共有できていなかったことでした。

だからこそ今は、丁寧に言葉にする時間を大切にしています。